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谷間の百合

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菅野完さんがしたことの歴史的意義。

下級国民を奴隷の身分に落し、マスコミも翼下におさめてもう自分に逆らうものはいないと満足の笑みを洩らしたところに、こんな伏兵が現れるとは総理は想像もしなかったでしょう。
きのう、菅野完さんが、政治家から籠池さんに数百万円がわたっていることを暴露しましたが、政治家がポケットマネーを出すとは思えず、だれしもが当然官房機密費を疑うのですが、官房機密費を自由にできる人間がだれかということでほぼ絞り込まれました。
総理はこの時期に人気取りに外国へ行っている場合でしょうか。
帰ってきたらもう総理の席がなくなっているのではないかと思えるほど、事態は急転直下の様相を帯びてきました。
二階幹事長が、虚偽の答弁で去就が問われている稲田大臣を、「こんなことくらいで」と言いましたが、その言葉が命取りになるかもしれません。

大阪には、橋下徹のような悪党が出てわたしは肩身が狭かったのですが、いま、ドヤ顔で言えるのが、こういう菅野さんのような人間が出るのも大阪ならではということです。
今の社会の仕組みでは、必然的に飼い馴らされた人間にならざるを得ないのですが、ネットゲリラさんが言われるように、飼い犬ではなく野良犬だからこそ腹も括れば、捨身にもなれるということでしょう。
飼い犬は只ご主人のご機嫌をとっていればいいのですが、野良犬は自分でゴミ(情報)を漁って生きなければならないということです。
菅野さんの情報が信じられるのは、自分の足で歩き回り、自分の目で見、鼻で嗅ぎ分けて手に入れた情報だからなのだと思います。


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籠池さんは、助けてくれる人もいたがほとんどが離れて行ったと言いました。
そんななかで一人これからも寄付をすると気を吐いたのがデビさんでした。
デビさんの考えはとても受け入れられるものではありませんが、田母神、石原、籠池という人生につまずいた人間にたいして手のひら返しをしなかったのはデビさんだけではないでしょうか。
主義主張の前に人間として大事なことがあるということです。

菅野さんを知ったのは最近ですが、そのとき、わたしは何十年ぶりかで「ナマの男」を見たと思ったのですが、そう感じさせたのは菅野さんに「情の人」だと直感させるものがあったからです。
血も涙もある人だと。
人を動かすのは「情」です。
いまの社会が停滞し沈殿しているのは、「情」が失われたからに違いないのです。

菅野さんが籠池さんに手を差し伸べたのは、籠池さんを肯定したからではなく、「強きをくじき、弱きを助ける」という情なのだと思います。
弱きを叩き、小悪を追いかけて巨悪には目をつむる社会の風潮が許せなかったのではないでしょうか。
「強きをくじき、弱きを助ける」という倫理の根本を菅野さんは思い出させてくれました。
それをだれも言わなくなったころから、「イジメ」が夏草の勢いで繁茂し、だれも有効な解決策を見いだせずに現在に至っています。
ほんとうは簡単なことなのに。
わたしはやっぱり、苛めている当人より、それを傍観している人間の方がニクい。
菅野さんを人たらしだと言う人がいますが、それは処世術ではなく、「強きをくじき、弱きを助ける」という菅野さんの心意気が籠池さんを動かしたのだと思います。
いま、籠池さんを守ろうとする人間がでてきたということは、おおげさではなく歴史的な出来事なのです。
日本の道義が最後のところで辛うじて守られたということだからです。
日ごろ「道義」を口にする人間がどれだけクズかということが分かっただけでも実に有意義な事件なのです。
せっかく菅野さんが開けた風穴を閉じさせるようなことがあってはもう日本もダメです。


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by michi-no-yuri | 2017-03-16 11:04 | Comments(0)
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