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谷間の百合

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十二日 その二  「すぐれもん」をつくる教育とは?

マドモアゼル愛さまが
「安倍氏は人間的には憎めない面がありますが、やってきたことは身内可愛がりであり、そこにつながる人たちを、浮彫にさせる働きをしました。」
と書いておられます。
人の欠点ではなく長所を見ようとされる優しさかもしれませんが、身内可愛がりがトンデモナイことになっているのではありませんか。
単なる身内可愛がりなら、政治の腐敗で片付くのですが、そうではないから問題なのではありませんか。
総理のしてきたことは、戦争のできる国づくりという一点でした。
戦後レジームからの脱却とは、属国からの脱却ではなく、自虐史観からの脱却であり、日教組を潰すことでした。
それが森友で炙り出されたのです。
瑞穂の国小学校は自虐史観の否定の象徴になるはずでした。
今起きていることは自虐史観の反動なのでしょうが、わたしはどちらの見方(味方)もしません。
日教組による教育の偏り、歪みは、子どもを通じて嫌というほど知らされましたが、だから、教育勅語とはなりません。
世界が森友で注目するのは、土地取得の不正疑惑ではなく、まさに、戦前の戦争に至る軍国教育の復活でした。
総理によって、日本が戦後国際社会で営々と築いてきた信頼が音をたてて崩れたのです。

わたしは、籠池理事長が自分の園の子どもを「すぐれもん」と言い、「すぐれもん」を養成する教育をしなければいけないと言っているのを聞いたとき、子どもを一つのいのちとしてではなく、いざというときに役にたつ便利な道具(ロボット)でもつくる感覚なのかなと思ったものでした。


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by michi-no-yuri | 2017-03-12 11:09 | Comments(0)
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