先日、衛星で「ハンナ.アーレント」という映画の後半だけ見ました。
ナチス(アイヒマン)の犯罪を徹底的に追及した思想家です。
映画の中でかの女が繰り返し言っていたのが、「考える」ことの重要性でした。
20世紀最大の「悪」は「思考不能」の人間によってもたされたと。
そのとき、日本にもぴったり当てはまる人間がいると思ったのですが、ふと、それは誰にでも当てはまることではないかと思いました。
「考える葦」とは、何を考えるべきと言っているのでしょうか。
アーレントが何を考えよと言っているのかは本を読めば分かるのでしょうか。
アイヒマンだって考えていたのです。
いかにしたら、総統閣下の命令を忠実に遂行できるか。
いかにしたら、効率よくユダヤ人を移送、殺戮できるかと。
しかし、これは今の企業が考えていることや体質と同じではないかと思って、わたしは恐怖を感じました。
若い女性を死に至らしめるほど働かせることが、ホロコーストの道に繋がっているのではないかと思ったのです。
人を雇い入れるということは、その人の生活を保証することです。
憲法は「健康で文化的な最低の生活を営む権利」を謳っていますが、くたくたになって後は寝るだけという生活のどこに健康や文化が入り込む余地があるというのでしょうか。
相手を人間だと見ていないからできることです。
誰だって考えているのです。
いい学校に入り、いい会社に入るにはどうすればいいかをみんな考えているのです。
人が「考える」とはそういうことです。
しかし、もうそういう考えに疲れませんか。
根性なしのわたしは早々と疲れて競争から降りましたけど。
結局、損得ばかり考えるからかえって不幸になるのではありませんか。
わたしも損得を考えて生きているときは幸福ではありませんでした。
わたしは、「考える」ことがそんなに重要だとは思いません。
考えるより「感じる」「知る」ことだと思っています。
「畏れを知る」「情けを知る」「恥を知る」ことの方がよほど大切というか、人間であることの証明だと思っています。
それとまったく無縁な人間がわが総理です。
人間失格者です。
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