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谷間の百合

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魂の殺人。

とうに網は綻んでいるというのに、総理は恥も外聞もなく対中包囲網に執心しています。
その言動が世界を驚かせ眉を顰めさせているドゥテルテ大統領が、オバマ大統領との会談を前にして「わが国はアメリカの属国ではない」と言い放ちました。
わたしは、それを安倍総理との会談で言ってほしかったと思いました。
「わが国は貴国のようにアメリカの属国ではない」と。
もうそのことは世界が周知していることなのに、まだ一人前の国のトップとして大きな顔をしている総理がわたしはいたたまれないほど恥ずかしい。

ところで、コメントで紹介していただいた動画はまだ少ししか視聴していないのですが、それでも、日本という国はもうどこにもないのだということを痛感させられます。

かってアメリカが出してくる年次改革要望書の要望に、日本はすべて応え実行してきました。
それについて外務省の役人は次のような笑うべき弁明をしています。
「日本経済の成長を確保するためにやっていることが、たまたまアメリカの要望と一致したもの。」

また、最近は名前を聞くことがなくなった売国御用学者の八代尚宏は
「(アメリカと)制度を統一化していくことはお互いのビジネスにとってプラスになる」
とヌケヌケと言っています。
自分にとって利益があったということで、日本にとってプラスは1ミリも1グラムもありません。
「属国ありき」なのです。


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アメリカは日本経済が強い原因は「年功序列」と「終身雇用」にあるとし、小泉と竹中に命じて構造改革という日本解体のための改革をさせました。
これほど日本を根底から壊した人間をまだ信じている国民がいます。
反原発だからということで、アメリカへ行って嘘泣き(子役がああいう泣き方をします。)までした人間をまだ支持する国民がいます。
あのころ、オーストラリアやインドの新聞に小泉純一郎のスキャンダルが載ったことがありました。
わたしは、あゝ、かれはアメリカ(ユダ金)に脅されているのだなと思いました。
「殺されてもいい」と言って郵政選挙を強行したのは、そうしないと殺されるという意味だったのだろうとわたしは推察しました。
小泉純一郎という一人のならず者のスキャンダルと日本がバーターになったのです。


連日、タレントの強姦致傷のことが話題になっていますが、レイプが「魂の殺人」だと言われていることを初めて知りました。
苦しんでいる被害者を傷つけ、加害者をいい気にさせかねないので、大っぴらには言えないのですが、わたしは、そんなことで魂が殺されてたまるものかと思いました。
そんなことで、自分のかけがえのない魂や人生がどうにかなってたまるものかと思いました。
ジョウダンではありません。
わたしならすぐ忘れる。
自分や家族が大事だから。
これが、夫の言う「大雑把な女」の面目なのかもしれません。

魂の殺人者は、アメリカであり、小泉政権や安倍政権です。
よくもこんな辱め、屈辱に耐えられるものだと思います。


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by michi-no-yuri | 2016-09-07 10:20 | Comments(10)
Commented by ツユクサ at 2016-09-07 19:04 x
神武天皇について考えがまとまりましたので、簡潔にコメント致します。
江戸時代まであまり重視されていなかった神武天皇が、明治維新が「神武創業」を模範としたことで巨大な存在となり、大日本帝国のシンボルとなりました。明治維新は国体の破壊であり、それまでの日本の国制を全否定するものだったので、新しい国を建てた神武天皇に模範を求めざるを得ませんでした。いま「大阪維新」など再び「維新」が唱えられ、神武天皇が重視されつつあるのは同じ流れと思われます。神武天皇は年代記の冒頭にひっそりと書かれているだけのほうが、日本国民は幸福だと思われます。日本の現状はきわめて厳しい。しかし希望もあります。絶望したらおしまいです。
Commented by michi-no-yuri at 2016-09-08 11:11
ツユクサさま

コメントありがとうございます。
おっしゃるように、「神武天皇は年代記の冒頭にひっそりと書かれているだけの方が日本国民は幸せ」ですね。
神武信仰が戦前ではなく、明治維新に始まったというのは意外でした。
ほんとうに、明治維新は日本の悲劇、不幸の始まりですね。
戻るとすれば維新前ですね。
最近、皇族方が橿原神宮にお参りされることが多いのですが、これも、政府というか宮内庁が決めていることなのでしょうか。
Commented by ツユクサ at 2016-09-10 08:04 x
そうだと思いますが、皇族方と神武天皇と言えば、雅子さまのことが思い出されます。結婚されて間もない頃、神武天皇陵にご参拝というニュースを見ましたが、雅子さまの表情が「硬い」というより不機嫌に見えました。雅子さまは戦後教育を受けたインテリなので、複雑なお気持ちだったのかもしれません。
前も書きましたが、私は神武天皇の年代は過去に延長されていますが、モデルは実在したと考えています。その方向で研究している学者たちには、その人物は2世紀後半ごろに生きていたという見解が多いようです。植村さんもそうでしたね。記紀を読んでも神武天皇はせいぜい奈良盆地の支配者になった程度で、お墓もささやかなものだったと思われます。天皇家が大きくなったのは10代目の崇神天皇の時代で、戦後の歴史学では崇神天皇を「実在した最初の天皇」とする見方が主流です。
Commented by michi-no-yuri at 2016-09-10 11:24
ツユクサさま

コメントありがとうございます。
戦後教育を受けて外交官を志望しておられた雅子妃にとって、皇室には受け入れがたいことが多かったでしょうね。
それがこころの病いの原因だと思われますが、でも、このごろは進んで受け入れようとしておられるのが感じられてほっとします。

神武天皇稜と橿原神宮は美しい畝傍山と一体です。
御陵も神宮もやはり明治に創建されていて、西欧かぶれの明治政府がなんとか日本を立派に見せようとして作ったのでしょうね。
Commented by ツユクサ at 2016-09-24 00:25 x
誤解を招く表現がありましたのでコメントし直します。
明治に創建された「橿原神宮」は廃止するか、「畝傍神宮」と改名すべきではないかと思います。
戦後に橿原神宮にちなんで命名された「橿原市」も「畝傍市」に変えるべきでしょう。橿原神宮の地は神武天皇が葬られた畝傍山に近いことは確かですが、都のあった「橿原」とは思えないからです。
本居宣長が調査したように、御所市の柏原こそ、神武天皇が都した所と思われます。そこには「神武天皇社」という小さな神社があると聞きました。
でも、拡張して橿原神宮のように大きくする必要は無いと思います。
Commented by michi-no-yuri at 2016-09-24 11:25
ツユクサさま

コメントありがとうございます。
御所の柏原というところは、年に2回ほど葛城山を越えて大阪に出るときに通る町です。
部落解放運動発祥の地ですね。
その柏原の背後に、国見山があり、神武天皇が国見をした跡があります。
写真で見ると、国見には適した場所だと納得します。
畝傍山だと低すぎて、民の竈のにぎわいを見渡すのは無理だと思います。
明治政府が国威発揚のために今の立派な橿原神宮を建てたのですね。
ちなみに、奈良との県境に沿って大阪にも柏原という市があり、ややこしいです。
Commented by michi-no-yuri at 2016-09-24 18:43
訂正
民の竈はにぎわいにけりは仁徳天皇でした。
Commented by ツユクサ at 2016-09-26 21:11 x
今の大阪城の地下を掘ると豊臣の大阪城、その下は石山本願寺・・どんどん続いて仁徳天皇の高津宮にたどり着くのでしょうか。
すごい場所ですね。
中国の歴史書に5世紀の「倭の五王」が出てきます。済・興・武の三王はそれぞれ允恭・安康・雄略天皇と思われますが、讃と珍が確定していません。
私は「讃」は応神天皇の名前の一部「ホム(誉める)」を意訳したもの、「珍」は仁徳天皇が眺めた「茅渟(チヌ)の海」を音訳したものと考えています。
古文書で「珍県」をチヌノアガタと読む例があるそうです。
この推定が正しければ、仁徳天皇の実年代は西暦430年代となります。日本書紀の年代の延長はこの頃から始まります。
そんなわけで、私は神武天皇の実在は信じますが、日本書紀の年代は信じられないのです。
Commented by michi-no-yuri at 2016-09-27 11:36
ツユクサさま

コメントありがとうございます。
非常に専門的、学問的なことで、何の知識もないわたしはお返事のしようがありません。
しかし、少しずつでもそういうことに慣れてきましたから、諦めずにコメントしてください。
Commented by ツユクサ at 2016-09-27 18:52 x
失礼しました。仁徳天皇の名前を出されたので倭の五王を連想してしまったのですが、マニアックすぎましたね。
今後は気をつけますm(__)m
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