岩下俊三さんの最新記事「まだあげ初(そ)めし前髪の林檎のもとにみえしとき」を見て思い出したことがありました。
むかしむかし、中の島でデートしていたとき、今の夫がその詩をすらすらと口ずさんだことがありました。
そのときは、「え~っ、この人すごいやん」と思いましたが、ばれるのも時間の問題でした。
詩や小説などまったく縁のない夫が、女の子の気を引きたいばかりに一生懸命覚えたものでした。
しかし、たとえばれることが分かっていてもその効果は絶大なのです。
思い当たる男性は多いのではないかと思いますが、しかし、こういうことができるのは「愛している」などという言葉が平気で言える多分に詐欺師的能力を有するw夫のような男性に限られるのかもしれません。
添付されている写真の北朝鮮の女子学生ですが、わたしはチマチョゴリは好きではありませんが、この制服は好きです。
白いブラウスに濃紺のセミタイトのスカートという服装がいちばん美しいと思うわたしのおしゃれの定番でした。(下の写真)
むかしのバスガールの制服がわたしの憧れだったのです。
過日、大竹しのぶさんが、強制はしなかったけど、父はいつも白いブラウスに紺のスカートの女性がいちばんいいと言っていたと話されていました。
岩下さんがその写真をUPされた目的は、一色に染まることへの不気味さと恐れだったと思いますが、わたしもそれを警戒し否定し嫌悪しながら制服を美しいと思うのは矛盾しているのは分かっているのです。
たしかに、制服は全体主義の象徴でもあります。
しかし、男性がセーラー服を好むのも、三島由紀夫がナチスの軍服に陶酔したのも、そこに性的なものをくすぐるものがあるからでしょう。
ナチスの将校が、軍服の上にコートを引っかけて颯爽と闊歩する姿は、いかんともしがたくセクシーなのです。
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