人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

あの世はすべて人の想像力の中にある。

「ネットゲリラ」さんが

「人間は自分の想像力を超える幽霊も神も見られません。」

「あの世はすべて人の想像力の中にある。」


と言っておられるのを面白いと思いました。

わたしもそう思っているのですが、わたしの思っていることとネットゲリラさんが言っておられることは次元が違います。

いつも言っているように、わたしは輪廻転生を信じているのですが、人間が意識となって転生する際に、どういう世界に行くかはその人の想像力が基準になるのだと思っています。

つまり、想像力の貧しい人はそれに相当する世界にしかいけないということです。

だから、想像力がいちばん大事なのです。

想像力とは「思いやる」ことであり、その人がもっている「愛」の分量だと思っています。

(出かける前に、、)


あの世はすべて人の想像力の中にある。_c0243877_9425856.jpg










×
by michi-no-yuri | 2015-11-03 09:30 | Comments(6)
Commented by ツユクサ at 2015-11-03 19:03 x
輪廻転生と聞くと三島由紀夫の「豊饒の海」が思い出されます。別に三島が好きだったわけでなく、他に気に入ったのは「美しい星」ぐらいです。むしろ稲垣足穂が好きでした。三島は足穂を高く評価していましたが、足穂は三島を最後まで嫌っていたとか、面白い話だと思います。
輪廻転生とか、どうも私にはしっくり来なくて、エピクロスやルクレティウスの唯物論がすっきりしていると思います。エピクロスの快楽主義は誤解されていて、彼は精神の快楽、特に科学の研究を勧めています。ルクレティウスは日本では寺田寅彦が高く評価して紹介したのが最初だと思います。
Commented by michi-no-yuri at 2015-11-03 21:18
ツユクサさま

コメントありがとうございます。
輪廻転生を信じるも信じないのもその人の自由ですからね。
わたしも、前生を想像することはあっても思い出すようなことはありませんが、それでもなぜか確信があるのです。
そうでないと説明のつかないことばかりです。

「豊穣の海」が輪廻転生の物語というのは知っているのですが読んでいません。わたしには小説を読む能力がありません。

足穂は三島由紀夫を嫌ったわけではないと思います。
三島由紀夫自身が言っていたと思いますが、あの人は褒められたり好かれたりするのが嫌いというか強烈に照れくさいのだと思います。
(それはかれの著作を読めばよくわかると思います。)
それがダンディズムかどうかはともかく、それってわたしにも分かるのです。
わたしも褒められるのが苦手ですw
どの作品だったかは忘れましたが、ある著作を、天皇陛下に見てもらっても恥ずかしいものではないというようなことを書いていたのですが、わたしはそういう感覚が大好きです。
Commented by ツユクサ at 2015-11-04 21:10 x
こんばんは。足穂は三島を嫌っていたわけではなく、作品がつまらないと言っていたんですね。「あの人の作品には、なつかしいところが少しもあらへんやないか」と。「なつかしい」は足穂のキーワードのようです。宇宙的郷愁、と言うのでしょうか。
「豊饒の海」は何故読んだのか、よく覚えてないです。三島の遺作で、この小説を完成させて市ヶ谷に向かったエピソードにひかれたのかもしれません。数学の論文を完成させて決闘に向かったガロアのように。ガロアは革命家でしたから、思想的には三島とは反対ですけど。
日本の天皇は独特で、ヨーロッパの国王や皇帝には似ていないと思います。あえて似たものを探せば、ローマ法王やダライ・ラマが近いように感じます。三島も「天皇」という存在と格闘したようですが、私にとっても謎です。
Commented by michi-no-yuri at 2015-11-04 23:07
ツユクサさま

コメントありがとうございます。
足穂が三島作品をどれだけ読んだか怪しいものですね。
まあ、一冊読めば分かったということかもしれませんが。
「宇宙的郷愁」ですね。
わたしは、以前ブログにも書いたのですが、
「地上とは思い出ならずや」という言葉が好きでした。
もう一つ好きな言葉が「死を視ること帰するがごとし」ですが、ただ一人納得できたのは「(死ぬとは)なつかしいところに帰ること」
と言った岡潔の注釈でした。
この二つの言葉は同じようなことを言っていると思うのですが。
唯物論者のツユクサさまはどう解釈されますか。
ロマンですか。
Commented by ツユクサ at 2015-11-05 07:59 x
おはようございます。
科学は唯物論ですが、哲学は違いますね。科学は客観で、研究者の自我は問題にされません。自己探求は哲学や宗教の道ですね。
タルホに「地球」という作品がありますが、死者は彼方の天国に逝くのではなく、この地球の意識に包まれていて、究極の調和への道程を不退転に進んでいるのだ。地球は虚空をのたうち廻る一個の生物であり、地球の意識はさらに大いなる太陽、恒星系の意識に続く、といった文章がありました。
私は星座解説者だった草下英明の本を通じてタルホを知りました。草下さんはイナガキタルホというカタカナに拘り、稲垣足穂という漢字は別人みたいでしっくりしない、と言っていました。
Commented by michi-no-yuri at 2015-11-05 09:48
ツユクサさま

足穂においては、科学も哲学も宗教も渾然一体ですね。
小説も読まない(読めない)科学や哲学や宗教にも無知で不得手なわたしが辛うじて足穂が読めるのは、その「本源性」「一体性」のおかげだと思っています。
しかし、百分の一も分かっていないだろうと思っています。

わたしの頭を占めているのは、いまの日本の現状だけなのですが、それを政治への関心だというようには思っていません。
すべては繋がっているのだと、、、
本来一つのことなのだと、、、
名前
URL
削除用パスワード
<< 「天皇さん」 二日 その二  「謀略」はわた... >>