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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

「平成維新」の歌がほしい。

TPPは完全合意にいたっていないというのに、きのう、マスコミはいっせいに農産物の関税についてTPP後はどうなるかの説明をしていました。

総理はこう言いました。

「守る農業から攻めの農業に転換し、若い人が夢をもてるよう万全の対策を講じていく。」

攻めの農業といえば聞こえがいいのですが、なんのことはない、もう農業は「守らない」と言っているのです。

攻めの農業ができる農家など0.1%もないのではないでしょうか。

総理はもう「守らない」と言ったのです。

競争に付いて来られる者だけが生き残れると言ったのです。

総理が何をしようとしているかがよく見えてきました。

非正規を増やすこと、そして、生き残れない農家を増やすこと。

もうこれ以上は生活できないという人間を大量に生み出し、そういう人間を権力で自由に使役することです。

徴兵制を敷くまでもありません。


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「反戦な家づくり」ブログに 「日本人は計画的に政治的無関心に育成されてきた。」と言われているように、日本人は本来「お上」に従順な国民ではなかったはずです。

明治からの歴史をみても政治運動が盛んだったことが分かります。

しかし、軍国化が進み、治安維持法が施行されるにおよび、国民は声を失っていきました。

戦争反対などとても言えなくなっていったのです。

まさに、いまがその最終局面です。

いま「反戦」を言えば中核派? 平和憲法を守れと言えば左翼と言われるようになっていることに愕然とします。

わたしは、こういう精神的土壌が枯れることなく水脈を保っていたことに恐怖せずにはいられません。

いまがギリギリのところでしょうか。

日本人は70年の間に、政治に無関心になるように洗脳されてきました。

60年安保を境に、、

洗脳する側は、日本人を研究し尽くしています。

人間を改造して別の人間にすることなど朝飯前でしょう。

(いろいろ思い当たる事象がありますが、陰謀論と受けとられかねませんので書きません。)

もう、日本人は先祖、先達の声を思い出すことができなくなっているのでしょうか。


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歌がほしい。

こころを一つにして、恐れを吹き飛ばすような歌がほしい。

わたしは事情があってw軍歌をたくさん知っています。

明治政府の富国強兵政策に合わせて勇ましくも悲愴感溢れる歌が多く作られました。

「抜刀隊」の曲など聞かされたら、戦争に行きたくなるのもムリはないと思ってしまいます。

そういう軍歌に乗せられて日本人は戦争へと邁進していったのです。

幸いにして、いまそういう歌はありません。

洗脳する側がそういう歌を恐れたからです。

しかし、戦意を高揚するためにいつまたそういう歌がつくられないとも限りません。

その前に、国民の側から先手をうって「平成維新の歌」を作ってほしいと思うのです。

権門上に奢れども国を憂うる誠なし

財閥富を誇れども社稷を思う心なし。


いま、昭和維新のときとは比べものにならないくらいの腐敗や荒廃が社会を覆い尽くしています。


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by michi-no-yuri | 2015-10-10 10:58 | Comments(5)
Commented at 2015-10-10 21:08 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by michi-no-yuri at 2015-10-11 09:44
希望の星さま

コメントありがとうございます。
わたしはこういう歌を平成維新の歌に選ばれたことの意外性に興味をそそられました。
そうなのか、こういう歌が平成なのかという驚きです。
コメントにも最大級の賛辞が寄せられていましたし、わたしも今の人の感性に遅まきながら気がついた次第です。
でも作った人は若くはないので、やはりその人の感性なのですね。

しかし、この歌は、聞き入ってしまうというか聞かされる歌という感じで、わたしのイメージとは違いました。
簡明な中に怒りが込められているような歌で、みんながすぐに唱和できるようなものがいいのというのがわたしのイメージでした。 
Commented by NONOHANA at 2015-10-11 20:38 x
谷間の百合さんの記事は多角的で、考えさせられるところも多々あり、コメントを書くために何度も何度も読み返しています。
荒廃した社会と言われると、本当に暗澹たる思いにとらわれてもどかしくなります。
時代の転換期だとは思います。だから、闇の勢力?のような方たちも必死の形相で何かを死守するためにやみくもなのかなとも思います。
平成維新の歌がほしいとありましたが、本当にそうですね。歌の歌詞に宿る言霊で見えない力に向かったら光の中にすべて鵜像夢想は飛び散るような気がします。
讃美歌の326番の光に歩めよという歌詞を思い出しました。
今の私に少しばかりの勇気をくれる歌はこの歌と、
かなり昔の歌で岡林信康さんの「友よ」という歌です。大好きな歌です。
ご存知だったらうれしいです。
平成版ではないですけど、ここから拡げてもっと素晴らしい平成維新の歌に繋がったらいいなか、なんて勝手に思ってしまいました。








Commented by michi-no-yuri at 2015-10-12 10:35
NONOHANAさま

コメントありがとうございます。

「友よ」については、「危険な歌」と題して、九月三日に記事にしています。
権力側、体制側の人間が発禁にしたいと思うような歌だということで「危険な歌」としました。
わたしも書くのをちょっとためらったくらいです。

こう書いています。
「どんなに絶望や悲しみの淵に沈んでいるときでも、そのメロディーが聞こえてくると、涙をぬぐって立ち上がれるような、そんな歌があるのです。」
そういう歌の一つが「友よ」だと思いました。
この歌が作られてからもうじき50年になります。
「夜明けが近い」と歌ってからそれだけの年月が過ぎたことを思うと自然に胸にこみ上げてくるものがあります。

賛美歌は知らないのですが、いいメロディーだなと思った曲が、あとで賛美歌だったということが2.3回ありました。
「ひかりに歩めよ」
と聞くだけで、神々しいひかりに包まれるような気持ちになります。
Commented by NONOHANA at 2015-10-12 11:59 x
そうだったんですね。早速9月3日の記事を読み返させていただきました。
もう30年以上前の話になりますが、実家で兄の弾き語りで「私たちの望むものは」や、「友よ」、「若者たち」をさんざん聞かされて育ちました。
それから兄の唄う歌は次々と変遷していきましたが今、兄の青春を垣間見た気になりました。
懐かしさとはいったいどういう感情なのでしょうか。
東京の下町にあった生家はもうありませんが、あの風景はいつでも思い出せるのが不思議です。
大好きな歌の話にすっかり引き込まれてしまいました。
ありがとうございました。

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