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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

三十日 その三  お知らせ。

明日から2・3日ブログをお休みします。

用があって、偶然ですが去年と同じころに父祖の地を訪ねることになりました。

しかし、気になることがあれば書くことになるでしょう。

きょうの「酔生夢人のブログ」で、飯山さんが岩上安身さん、山本太郎さんを批判しておられることを知り吃驚しました。

「知的頽廃」「人間的堕落」だそうです。

どこをどう見たらそう思えるのか不可解ですが、さきほど、あることに思い当たりました。

いつだったか、何が理由だったか忘れましたが、三宅洋平という人とその支援者を、連日、きのこさんと二人がかりで口撃しておられたのですが、その三宅さんが(支援者も)山本太郎さんの仲間(?)だったことを思い出したのです。

これだけ、人の人格を口汚く徹底的に貶めずにいられない飯山さんを見ても、なお尊敬できる人って、、、

「酔生夢人のブログ」に

「虚仮脅かしの衒学趣味、自分の党派を作り、反対者を巧妙に叩き潰す」と書かれていますが、党派というか、ファンや弟子や子分を作る手口の巧妙さはまさに知能犯です。

(「放知技」はそのために仕掛けられた罠の一つだと思っています。)

他人を攻撃すれば、かならず自分に返ってきます。

これは法則ですから、万に一つの例外もありません。

(但し、もちろん、正当な批判は別です。)

日本人はそういうことを感覚で知っていますから、あそこまで人を辱めるようなことはしません。


三十日 その三  お知らせ。_c0243877_115209.jpg










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by michi-no-yuri | 2015-09-30 11:54 | Comments(6)
Commented at 2015-09-30 22:06 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2015-10-01 16:31 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by michi-no-yuri at 2015-10-03 10:00
熱々おばんさま

コメントありがとうございます。
以前、飯山さんのことを書いたとき、コメントで被害を受けた人がおられることを知りましたが、内容は書かれていませんでしたので、それ以上のことは知りませんでした。
わたしは古いことを知らないのです。

わたしは生まれ育ちがいいのかw(ホントは水飲み百姓の子孫)人の行為について売名行為だとかお金儲けのためとか思ったことは一度もありません。
そんな発想がないのです。
まして、お金に困っている人を「金欠病患者」などと言って嘲笑することなど考えられません。
わたしの中では、これだけで「アウト」なのです。
飯山さんは、「好々爺」でも「気のいいおっさん」でも「おっちょこちょい」でもなく、それとは真逆の人だと思っています。
しかし、これ以上のことを書こうとは思いません。
Commented by michi-no-yuri at 2015-10-03 12:44
ダリアさま

コメントありがとうございます。
わたしはわけが分からないのです。
先日、安全宣言を出して、もう避難(移住?)の必要がないと言われたのは飯山さんではなかったですか。
wantonさんが安全だと言われたことがあったでしょうか。
不思議でなりません。

山本太郎さんが「フクシマの子を救え」と訴えて世に出、議員になったら言わなくなったという批判があることは知っていました。

被爆や汚染は国のトップシークレットでタブーです。
そして、どんなに訴えても世論は動かず、マスコミは沈黙し、国会議員は恐れてだれも取り上げません。
それを言うと逆に被災地の人から憎まれるのが現実です。

小沢さんは、国民はもっと怒らなければならないと常に言われますが、国民の怒りや後押しがなくてどうして政治ができるかということだと思います。
そういう現実の中で、どうして山本太郎さん一人を責められますか。
もし、そう思うのなら、その疑問を太郎さんに直接ぶっつけるべきなのです。
多くの人が「なぜ、フクシマのことを言わないのだ?」という疑問や怒りを太郎さんにぶっつけるべきなのです。
そのとき、はじめて「フクシマ」が動くのです。

いくら、ネットで盛り上がっても政治は動かないではありませんか。
毎日のように急病人で電車が止まることや、そこらじゅうで眠り込んでいる人がいるというのに、東京の人のほとんどは自衛のための行動に出ないではありませんか。
マスクをしている人さえいません。

そんな中で、太郎さん一人を責める人の気がしれません。
国民の怒りが、太郎さんを、政治を動かすのではありませんか。

アーミテージレポートに軌道修正と言われますが、わたしには驚天動地のことでしたよ。
太郎さんは、これを言えば、さすがに国民は怒るだろう、ここまで言えば、目を覚ますだろうと思って勇気をもって暴露されたのであって、わたしは軌道修正だとは思いません。
どうしたら、国民が政治に目を向けてくれるだろうと必死なのだと思います。

わたしはそんな冷めた目で太郎さんを見ることはできません。
世界から、いっこうに怒らない、長いものに巻かれろという国民性を指摘されて何も反論できずに情けなく悔しい思いでいたときに、太郎さんの出現はまさに日本の希望となりました。
「日本に山本太郎あり」と少しは胸を張ることができます。
Commented at 2015-10-06 22:10 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by michi-no-yuri at 2015-10-07 00:17
ダリヤさま

コメントありがとうございます。
おっしゃるようにわたしが飯山さんのブログや放知技を読んでいないことは最初にお断りしています。
安全宣言の件、どこで読んだのか思い出せませんが、わたしの勘違いだったのならそれでいいのです。
わたしは、wantonさんについて書いておられたことを読んで、(これは放知技できっちり読みました)常軌を逸しておられると思い、相変わらずだなと思ったのです。
どうして、そこまで人を辱められるのだろうと理解に苦しみました。
(第三者のわたしでさえ、屈辱的な気持ちになりました。)
それに、wantonさんのブログ、あるときからほとんど読まなくなりましたが、wantonさんが安全だと言われたことがあっただろうかと不思議に思いました。

(わたしは飯山さんが有益なことを言っておられることを否定していません。)

国民が政治に目を向ける時期は過ぎたということですが、そんなこと簡単に言ってはいけないのではないでしょうか。
なぜなら、こちらが政治を無視しても、政治は決して私たちをほっといてはくれません。
それが国家の恐ろしいところです。
たとえば、どんなに重税になっても納税は国民の義務です。
徴兵制が敷かれたら、否も応もなく男たちは連れて行かれます。
逃げても捉えられて罰せられることになります。
政治を無視して重税や徴兵に反対することはできないのです。
政治というものをどういう風に捉えておられるか分かりませんが、政治は個人の人生と生活と直結しています。
こちらから断ち切ろうとしても切れるものではなく、また切ってしまえば生きてはいけません。
多分、飯山さんが言われる、「洞穴」に入って生き残れということが念頭にあるのだと思いますが、洞穴に入ろうが、どこに行こうが、国家は決して見逃してはくれません。

今の政権は、国民を守るという国家の責務を放棄しましたから、国民はハダカで路上に放り出されたようなものです。
それをいちばん肌で感じているのが山本太郎さんです。
政治でしかできないのです。
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