政府は早ければ2018年以降小学校5年から英語を正式科目にする方針を決めています。
英語だけで英語の授業を行う「オール・イングリッシュ方式」も、中学、高校、大学などで順次実施されていくようです。
英語を公用語とする企業も増えてきています。
わたしはこのことを考えると、これ以上はないくらいの情けなさ、悔しさを覚えるのです。
憤怒に駆られるのです。
戦後70年経って日本は自ら進んで完全な植民地になろうとしています。
政治、軍事、教育、そして最後の民族の命ともいえる「言葉」まで宗主国に捧げようとしています。
「美しい国」とは英語を話す国にすることだったのですか。
なぜ、政府が英語教育に熱心なのか分かりますか。
そこには明明白白な理由があるのです。
アメリカのニーズです。
TPPで、日本の社会はアメリカ仕様になり、それに合わせ、アメリカさまを煩わすことのないように日本人は英語をマスターしろということです。
簡単に言えば、世界の一握りの人間のお金儲けのために、日本人は英語を強要されるということです。
日本から保守が姿を消しました。
日本語を英語にとって変えようとしている政権を支持して保守を名乗れるはずがありません。
そんなことも分からないような人間がなんで保守であるものですか。
保守の言論人にはとっくに見切りをつけていましたが、最後まで(それも10年以上前になります)読んでいたのが西尾幹二さんでした。
小泉純一郎批判は正鵠を射ていました。
その西尾さんがあろうことか安倍総理を支持しておられるらしいのです。
先日の「正論」では、長谷川三千子さんや渡部昇一さんを、小林秀雄や江藤淳の正統な系譜であるかのように書いておられて唖然としました。
どうでもいいことですが、わたしは右にも左にも居場所を持っていませんでした。
そういうとき、少壮気鋭の政治評論家、中島岳志さんが「リベラル保守」なる新しいポジション(概念)を提示されていることを知り、わたしは、ああ、ここが自分の居場所かもしれないと思いました。
なんとなく保守でいるのではなく、「リベラル保守」には「力(戦い)で保守する」という意味合いがあるように思えるのがいいです。
中島さんが、「保守」の核に何を据えておられるのか分かりませんが、わたしは言わずもがな「言葉」です、「日本語」です。
明治に、英語を国語にしようとした森有礼。
戦後、フランス語を公用語にすべしと言った志賀直哉。
日本には今でもこういう人間が潜在的にかなりの数存在しているのだろうと思います。
国際化の波に乗るには英語は必須だと思っている人たち。
国際化を文句なくいいことだと思い込んでいる人たち。
前世が外国人だったのだろうと思うしかありません。
以前書いたかもしれませんが、イチロー選手は会見では日本語で話します。
それを見て兄が、アメリカに長くいて英語も喋れないのかと嘲笑しましたが馬鹿ですね。
英語ではなく、日本語で喋るのがイチローさんの日本人としてのプライドなのだということくらい分かれよと思いました。
言葉はいのちです。
それを失うことがどういうことか分からないような人間が日本のかじ取りをしているのです。
以下に、「月刊日本」の「英語化は植民地化政策」の記事から一部抜粋したものを転載します。
英語化で日本の国力は地に落ちる。
―― しかしグローバル化の時代を生き抜くには、英語力を高める必要があるという声が大きい。
施 いや、逆に英語化は日本の国力を落とすでしょうね。
まず日本人の学力が格段に落ちる。
ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏は、中国や韓国の研究者から「どうしてアジアで日本だけが次々と受賞者を輩出できるのか」と尋ねられ、「日本人は母国語で専門書を読むことができるからだ」と思い当ったと話しています。
本来、人間の可能性は母語の中でこそ最大化します。
どんなに上手でも日本人にとって英語は外国語です。
外国語である以上、英語で日本語より深い思考をすることはできない。
スーパーグローバル大学は「世界レベルの教育研究」を行うために「英語で授業を行う」と謳っていますが、英語化は日本の知的レベルを下げる一方でしょう。
また政府は「グローバル人材」を育てて経済力を上げたいようですが、GDPの上位五カ国はアメリカ、中国、日本、ドイツ、フランスです。一方、英語を公用語として使っているアジア・アフリカ諸国のGDPは低い。
そもそも英語力と学術や経済の力とを結びつける発想が間違っています。……
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