自分では忘れていたのですが、大分以前に通販で北海道の海産物店から買いものをしていたらしいのです。
先日、そこから電話があり、なんでうちの電話番号を知っているのだろうと不審に思ったのですが、そういうことでした。
わたしが丁寧にお断りしたら理由を訊かれ、ちょっと躊躇したもののフクシマの汚染水が気になりますと言いました。
否定されるか、笑い飛ばされるかと思っていたら、急に沈んだ声になり「そうですか、分かりました」と言って電話を切られました。
分かっていたのか、あるいは、同じようなことを言って断る人がいるのかどっちなのだろうと思いました。
わたしは魚も練りものも食べなくなりました。
ごくたまに、チリやノルウェー沖の鮭の切り身を買うくらいです。(それが安全かどうかは分かりません)
その電話がかかってきたとき、わたしは借りてきた「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」(子どもたちのチェルノブイリ)を読んでいました。
この本のタイトルになっているのは、15歳で亡くなった少女の日記に書かれていた言葉です。
少女の従兄が回想で書いています。
「彼女はその夏(最後の夏)とても美しくなった。」と。
これからもっともっと美しく輝こうとしていた未来が目の前で断たれたのです。
少女は日記の最後にラテン語で「生きた」と一語記して15年という短い生涯を閉じました。
それよりもまだ小さい子どもたちも苦痛のなかで次々に死んでいきました。
小さな身体には到底受け止めることがでできない苦痛ですが、容赦はありませんでした。
フクシマの子どもたちはどうしているのでしょう。
ほとんど現状が伝わってきません。
変なことを7言うようですが、わたしには生まれてきたとき自由で幸せだったという記憶があります。
そして、それがそのまま続くものだということを疑いませんでした。
しかし、そうではありませんでした。
みんなが平等で自由な文化的生活を営むためにわたしたちは税金を納めています。
だから、もう納税だけで勘弁してくれませんかと真剣に思うのです。
それ以上の強要や強制や負担や束縛は止めてほしいと。
でも、、、とわたしは力なく思うのです。
原発だって、結局は国民が望んだことになるということに思い当たるからです。
目に見える進歩を追っかけ、お金を追っかけてきたのは国民です。
少しでもいい学校、いい地位を目指して子どもに勉強を押し付けてきた結果がいまの惨状だからです。
それが原発です。
国民は自由なんか求めてなかったのです。
だから、国に従うしかない?
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