「徽宗皇帝のブログ」同「酔生夢人のブログ」の更新が止まってから2週間以上が経ちました。
どうされたのでしょう。
何があったのでしょう。
以前、3、4日休まれたときは、パソコンが思うように動かないということでしたが、いよいよパソコンが駄目になったからといってそれでブログを閉じられるでしょうか。
わたしは、もし自分で更新できなくなるような事情が生じたときは娘に報告を頼んでいますが、ほとんどの人はだれにも後事を託しておられないでしょうから勝手に想像するしかありません。
毎日、いちばんに開けるのがこの二つのブログでした。
いよいよ、読むブログが少なくなりました。
というのも、毎日更新するブログを他にほとんど知らないからです。
毎日最低二つ、多いときは四つ、五つということもありました。
ツイッター感覚だったのでしょうか。
当然のこと、考えや感覚に違いはありましたが、もっとも惹かれたたのは、政治を扱っても、そこに文学や哲学のテイストがほどよく施されていたことです。
多分、わたしといっしょで「ふざけた」文章は嫌いだったと思います。
ふざけた文章は、普通の文章を書くことに比べて格段に簡単に書けるのです。
しかし、わたしには空しいだけです。
また、よく匿名は無責任だと言う人がいますが、それは違います。
匿名だから無責任なことが書けると思っている人は本名でも無責任なことを書くのです。
ある著名人が匿名は卑怯だと言ったとき、わたしは、あんたは顔と名前を出してナンボでしょう?
それが商売で、それが生業でしょう?と思いました。
わたしたちは商売ではありません。
しかも、匿名だといっても世間に知られていないだけで、その筋?には丸裸なのでしょうから。
話を戻しますが、わたしが括目したのは、ブログ主様が左の人間でありながら「尊皇の人」だということでした。
天皇は憲法を忠実、厳正に守って範を示しておられるのに、だれも一顧だにしません。
天皇が憲法を守るように言われた相手はいちばんに総理をはじめとする国会議員だったのではないでしょうか。
国民のいのちと暮らしが損なわれようとしていることにこころを痛めて政治家を叱責されたのではないでしょうか。
しかし、それを聞かなければならない人間の耳には馬耳東風です。
だれかが、天皇は革命のシンボルにもなり得るのだと言っていましたが、ほんとうに日本を守ろうとする人たちは、そのことに思いを致すときです。
保守、右翼に利用されて貶められた天皇の存在を真に守れるのは憲法を守り、戦争や原発に反対する人しかいないではありませんか。
なぜ、左翼の人は、護憲の天皇を推戴しないのですか。
左翼こそ日の丸を掲げ、天皇を戴くときではありませんか。
それで一発逆転する可能性は大だと思います。
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