きのう、いつもは見ないのですが、田中角栄の名にひかれてBSフジの「プライムニュース」を見ました。
のっけから、田中角栄が映像のなかでこう言っているシーンがありました。
「すべての国民が喜びを感じられるような国にしたい。
政治はだれのものでもない、国民のためのものだ。」
なんだか胸が熱くなりました。
ウソの気持ちでは言えないことだと思いました。
総理は集団的自衛権の必要性を説明するのに、こころにもないこと、つまり、国民のいのちと安全を守るためだと言いましたが、そんなことを信じるのはネトウヨくらいではないでしょうか。
政治家にとって言葉はいのちのはずなのに、最近は国民を騙すためのツールになりました。
小沢さんが、野田政権を批判して、自民党政権のときのほうがまだ一生懸命に政治をしていたと言われましたが、それはわたしにも肯けることでした。
大平正芳、鈴木善幸、竹下登、海部俊樹、羽田孜、橋本龍太郎、小渕恵三、福田康夫などなど、
角栄のように国民を愛していたかどうかは分かりませんが、国のことを思って政治をしていたことは確かでしょう。
映像で見た、これら総理がある場面で見せた真剣で苦渋に満ちた表情はすぐにも脳裏に浮かんできますから。
スタジオには石破茂、鳩山邦夫ご両人が出演していました。
例によって、石破さんが角栄との個人的な付き合いでの人情家の一面を話だしたとき、わたしはチャンネルを代えました。
いま、そんなことを言うときではないでしょう。
すべての国民が喜びを感じるような政治こそ受け継ぐべきもので、それを言わずして角栄を語るな、と思ったからです。
鈴木善幸元総理は印象の薄い人でしたが、わたしには強烈に印象に残るエピソードがあります。
訪中したときに、残留孤児について
「長い間、日本の子どもを大事に育ててくれてありがとう。」
と言われたことです。
これを知ったとき、感動がうねりとなって繰り返し襲ってきたことを覚えています。
人間の美しさに触れたように思いました。
これが外交の基本ではありませんか。
むかしはそれがあったのに、いつごろからか見ることがなくなりました。
感謝と謝罪ができるのが大人(たいじん)です。
だから小人(しょうじん)の総理にはできません。
ほんとうに政治家が小人ばかりになりました。
もう一つ覚えているのが、「戦争になって武器が売れたらいいなと思うような企業の人間はつくりたくない。」
と言われたということです。
アメリカが半ばそうであるように、日本も産業界の人間が政治に深入りしているのではないでしょうか。
葛西敬之さんなどはあからさまに戦争を期待するような発言をしているようですから。
いまほど政治の不在、政治家の不在を感じるときはありません。
政治家はどこにいるのですか。
衆参合わせて722人いる議員はどこにいて何をしているのですか。
国会議員には歳費と政党交付金などで4000万前後の年収になるそうです。
石破さんはそれでも苦しいと言います。
自分らのふところの苦しさから国民の生活の苦しさを想像するということはないのですね。
年金や介護費用など、これからも削られていくのでしょう。
「強い国」を目指す総理にとっては社会的弱者は邪魔なだけの存在なのでしょうから。
だんだんナチスに似てきました。
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