産経の曽野さんのコラム「小さな親切、大きなお世話」に、きょうは「当事者でない者の謝罪」と題して、謝罪とは当事者同士でないと為し得ないのではないかと書いておられます。
国家の罪を個人のことに転嫁しておられるのですが、だれも個人に、まして曽野さんに謝罪しろなどと言っていないのです。
中國は悪いのは指導者であって日本国民には罪はないと言いました。
戦後賠償の請求権を放棄したのがそういう考えに基づいたものかは分かりませんが、事実はそういうことです。
(事実を言っているだけですから、中国の工作員などと思わないでくださいね。)
ところが、日本はその戦争指導者のA級戦犯を靖国に合祀したのです。
天皇が、信義にもとる行為だと思われて参拝を取りやめられたとしてもなんの不思議もありません。
A級戦犯を靖国に合祀したころから、一部の人間の間で「戦前回帰」の野心が蠢いていたのかもしれません。
曽野さんは謝罪を要求しているのは中韓だと思っておられるようですが、いちばんそれを要求しているのが、戦争の相手国であるアメリカであり欧米列強です。
アメリカが総理の演説内容にまで干渉してくるのは、もう二度と自分たちに逆らうことは許さないという強烈な意志のメッセージです。
いちばん日本に厳しいアメリカを日本の味方などとは間違っても思わないことです。
曽野さんが
「戦後の日本人は、国中焦土になった中から復興し、誠実に働いて優良な製品を作り、人道にもとる行為もせずに生きてきた。
それが過去の戦争に対する反省であり償いでもあろう。」
と書いておられることはその通りかもしれません。
その象徴が日本国憲法です。
それを根底から覆そうとしているのが総理だということが、なぜ曽野さんには見えないのでしょうか。
総理は日本を「再び」世界の真ん中で輝く国にしようと言いましたが、かって世界の真ん中で輝いたとは、なにを指しているのでしょう。
そのような実績や実態があったのでしょうか。
海を渡り、はるか遠い国にまで侵出して戦ったことが輝いたということでしょうか。
しかし、総理の頭にあるのは真珠湾攻撃と特攻隊の映像だけで、300万人の国民が死んだことにはまったく想像が及ばないようです。
つまり、世界の真ん中で輝やいたとは、真珠湾攻撃であり、特攻隊を指しているのです。
あとのことはどうでもいいのです。
国民のいのちや暮らしのことなどまったく眼中にありません。
曽野さんも似ていますね。
クリスチャンの曽野さんから、いのちや暮らしに対する眼差しを感じたことはありません。
いのちへのかなしみや慈しみを感じたことはありません。
皇后陛下が、ゆすり蚊を見て詠まれたいのちのかなしみのことです。
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