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谷間の百合

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「わたしは恐れない」!?

パリ市民が「言論の自由を」「わたしは恐れない」と口々に叫んでいるのを、わたしは遥か遠い地点から聞こえてくるような感覚で聞いていました。

実際、パリは遠いのですが、わたしが遠いと感じたのは、もちろん距離ではなく、自由への思いに対する彼我(ひが)の違いでした。


日本人にとって民主主義も自由も切実な問題ではないのです。

言論の自由に抵触するような事案、事件が起きても、それに抗議するのはほとんどが一部の進歩的知識人であり、そういう人たちは「左翼」で「反日」だというのが一般人の見方だったように思います。

それが今極限に達したようです。

政権に逆らうものは、天皇といえども左翼になるという前代未聞の珍事が起きているのですが、それが珍事ではなく当たり前になっていくことの恐ろしさをどれだけの人が感じているでしょう。

いまの若い人たちの中には、政治に関わることは危険というより「損」だという考えがあるようです。

しかし、政治ってなんですか。

わたしたちのいのち、生活そのものではありませんか。

黙っていることが利口な生き方だと、空気を読み、口を噤んでいるうちに、気がつけば戦場にいたということになるかもしれないのです。


「わたしは恐れない」!?_c0243877_11232752.jpg


これは言論の自由、報道の自由へのテロであり、断じて許すことはできない

と総理は言いました。

わたしは涙がでそうになりました。

どれだけその言葉を信じたいことかと、、

しかし、言うまでもなく、政権から日々感じてきたことは、言論の自由への侮辱であり敵意でした。

戦い取ったものではないから、マスコミは自ら言論の自由を放棄してもなんの痛痒も感じないようです。

嬉々として?権力に靡きました。


きのう、ある記事に、改憲の真の目的は国民から主権を剥奪し、それを国家権力の下に取り戻すことだ、それが日本をトリモドスということだと書いてありました。

恐ろしいことですが、たしかにそういう動きになっています。

政権周辺のひとたちがよく言う「誇りある日本人」ってどんな日本人なのでしょう。

わたしは一人の誇りあるというか、誇りをもって生きたいと願っている人間だからこの政権に堪えられないのです。

国民を舐め切っているその侮辱に堪えられないのです。

わたしは「わたしは恐れない」と堂々と言うことができません。

「怖い」「恐れない」という二律背反の葛藤を感じない日はありません。


「わたしは恐れない」!?_c0243877_11234818.jpg










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by michi-no-yuri | 2015-01-09 11:29 | Comments(4)
Commented by 枯れススキ at 2015-01-09 21:33 x
人はみな、それぞれの共同幻想の中に生きています。
そして、人々は共同幻想を守ろうとする一方、外部に不寛容で攻撃的になります。
国家しかり、民主主義や資本主義も決して普遍的なものではなく、イデオロギーであり、それは共同幻想です。
みんな、それぞれの共同幻想の中にどっぷりと浸かりながら、お互いに、牙を剥き威嚇しあっているのです。

写真はいつも素敵です。
透明感を感じます。
Commented by michi-no-yuri at 2015-01-10 14:24
枯れススキさま

コメントありがとうございます。
共同幻想だと言われることは分かります。
わたしはその対立概念が「言論の自由」ではないかと思っているのですが。
ものが言えなくなる即ちファシズムですから、「言論の自由」は本当に大きな問題だと思います。
Commented by 枯れススキ at 2015-01-11 07:48 x
百合さま

無論、言論の自由は守られるべきであり、これを封殺するに暴力をもってすることは、断じて許されるものではありませんが、
今回の事件についても、かの新聞社が、果たしてどんな表現をしていたのかということが気になりました。
つい、先だっての金正恩の映画事件のときにも感じたのですが、それが相手を小ばかにしたような内容であるなら、不毛な対立を煽るだけのように思います。

表現の自由、言論の自由を守りたいのならば、表現者側にも一定の配慮があってしかるべきだろうと感じた次第です。





Commented by michi-no-yuri at 2015-01-11 09:00
枯れススキさま

今回のことは違いますが、わたしはどんなことがあろうと国家が「言論の自由」に介入してはいけないと思っています。
皮肉ですが、わが総理はヘイトスピーチといえども、「言論の自由」の範疇で捉えるべきと言いました。
そのときは呆れたのですが、今考えると、それが正解かなと思います。
最終的には、法律か、社会の良識に委ねられるべきだと思います。
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