「ポスト米英時代」
「小沢はスーザン・ボイルである、偽物が本物を潰すのは無理である、一山いくらの自公や韓ケ関(霞が関)やダマスゴミが束になっても無駄である」から一部抜粋。
今彼女が発掘された時の映像を見ているが自民党のプリンスだった小沢とは順番が違うが冷ややかな目とバッシングを跳ね返したという意味では同じである。
馬鹿にした目でみていた審査員の一流と言われる作詞家・作曲家・歌手だかにスタンディングオべーションさせたり涙ぐませたりさせてしまった訳だが本物というのはそういうものである。
日本で政権交代を果たしたのは小沢だけでそれも二回であり二回目はゼロからのスタートでゴミ売り巨人軍がノムさんを潰そうとしてサッチーを叩きそれらがあってシダックスの監督に落ちぶれた後に野村再生工場2をやった時と同じだがその後はノムさんすら味わった事のない過酷さだったが小泉詐欺を堂々と批判して竹中の詭弁を論破した後にのぞき魔にされ痴漢にされ服役までさせられた後に自力で信用を回復した植草と同じで筋金入りである。
なんちゃってユダヤもなあんちゃって日本人も一人ではなにもできずいつも一山いくらの束でかかってくるが本物というのは雑魚がいくら束になってかかってきても一時的に憎まれたり嫌われたり誤解されたりしても分かる人には分かり、、、
サッチーバッシングの間、わたしはホント苦しかった。
放送倫理委員会はなにをしているのかと思いましたが、いまにして分かったのは、立派な委員会を立ち上げても名ばかりで権力の前には沈黙するということです。
浅香光代さんのダンナがテレビに出て、これから長嶋さんと食事をするとポロッと言って、テレビ局が後で慌てて取り消したり、暴力団風の男らが阪神ベンチに乱入したりということなどから、わたしには当初からその構図が見えていました。
タイガースの監督に就任したノムさんをよみうりは恐れ嫉妬したのだと。
放送倫理委員会もよみうりの権力にひれ伏したのです。
きのうの富田選手の会見を見て、全国から激励の手紙や支援金が送られていたことを知りました。
弁護士が言っていましたが、やはり、JOCの人が見たのは、部分、部分で(静止画像かどうかはわかりませんが)連続したものではなかったということでした。
なんの根拠もありませんが、わたしはJOCもなんちゃって日本人(偽日本人)に支配されているのではないかと思いました。
(当人たちには自覚も認識もないかもしれませんが)
内田樹さんが
「安倍政権がわが国にもたらしたダメージは、日本国民が想像するよりずっと深く、とりかえしのつかないものなのです」
と言っておられますが、その「安倍政権」を「偽日本人」に入れ替えてみてください。
その浸食ぶりは日本人の想像をはるかに超えるものなのです。
一つ、一つの事象、事実に対して、しっかり目を開いて見て、正当な怒りを向けてください。
ヘイトではなく怒りです。
ヘイトをわたしが忌避するのは、それがもっとも醜い感情であると同時に、かれらの戦術に嵌ることになるからです。
ところで、ポストさんの記事を読んでいて、突然ひらめいたことがありました。
もう4年以上前のことですが、「つむじ風ブログ」に投稿したわたしのコメントが削除されたことがありました。
後で気が付いたのですが、そのときは非常にショックを受け、ナンデダロウと思い悩みましたが、いつのまにかすっかり忘れていました。
そのことを思い出し、ナンデダロウと思った疑問が突然解けたのです。
おそらく(というより確信ですが)「亀さん」こと「サムライ」さんがメールで削除するように忠告したのだと。
わたしのコメントは、誰かの言ったことを飯山さんが紹介されていたことについての違和感や疑問を書いたもので、当然、そのときは飯山さんになんの悪感情も持っていませんでした。
(わたしが「つむじ風ブログ」に投稿したのは、飯山さんのブログにコメント欄が見当たらなかったからです。)
後で気が付いたのは、わたしの癖の詰問調の文が飯山さんを傷つけたのではないかということでした。
飯山さんは深く恨みに思われたのです。
だれかが「文殊菩薩事件」と言っている例の騒動にわたしが首をつっこんだのは、原点、原因はわたしのコメントにあったと思ったからです。
つむじ風さまにとってはまったく身に覚えのないことで、降って湧いた嵐のような人格破壊にさらされたのは、わたしが原因なのです。
(それはどれほどの驚愕、衝撃、苦しみ、悔しさであったことでしょう。しかし、人を苦しめたカルマはいずれ自分に還ってきます。信じようと信じまいとそれはゼッタイです。)
なぜ、堂々と反論されなかったのですか。
言論には言論で。
サムライさんはなぜメールする前にコメント欄で反論しなかったのですか。
反論以前に、カリスマの飯山さんに楯突いた?わたしが許せなかったのですか。
しかし、「サムライ」さんにとって飯山さんがカリスマであってもわたしにはそうではありません。
わたしはだれであれカリスマにまつり上げるのが嫌いです。
そのメールの文面には興味がありますが、大体想像はできますね。
「サムライ」さんの行為は、ノムさんを潰そうとしたよみうりであり、いまマスコミにいろいろ圧力をかけている政権と同じです。
しかし、幸いわたしはだれとも繋がりのない無名で無力なひとりの人間です。
自由な人間です。
また、わたしは人を恨むことのできない人間です。
一生恨んでやる!と決意しても三日と続きません。
飽きっぽくて根気がないからです。
当たり前といえば当たり前のことですが、飯山さん、サムライさんにも恨む気持ちなどありません。
ただ、許せないと思う気持ちはあります。
しかし、許せないというのは、わたしが思うことではなく、道義的にどうなのかということです。
わたしに(わたしだけではないと思います)人を許す許さないと言う資格はなく、実際そんな気持ちもありません。
わたしは内緒事をしたくないのでメールの設定はしません。
ブログに書くことがすべてです。
もし、この記事を読んでおられて、それは事実と違うと思われたならそう言ってください。
訂正してお詫びします。
もう、わたしの中ではとっくに終わったことでしたのに、突然ひらめいたことをそのままにしておけずに書きましたが、こんどこそ終わりです。
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