70回目の敗戦の日 「反戦な家づくり」より
70回目の敗戦の日だ。
69年前の今日、日本人は何を思ったのだろう。
「負けて悔しい」「負けて良かった」
たぶん、軍人以外の多くの人々は「負けて良かった」と思ったのではないか。
テレビなどでは「終わった」と言って喜ぶシーンが良く出てくるが、当時の人が「負けた」という認識が無かったとは思えない。
実際の多数派は 「負けたけど 戦争が終わって良かった!」 ということだろう。
ところが、この「負けた」という厳然たる事実を、敗者も勝者も誤魔化し隠そうとする。
そしてできた言葉が 「終戦の日」だ。
「負けて悔しい」(だからもう一回やって勝ってやる)という狂信的な人々は決して少なくはなかった。その系譜は現代にも引き継がれている。
もちろん勝者(アメリカ)は、この連中の勢いが復活することを望まなかった。
屈辱感を呼び覚ます「敗戦」ということばを、感情のない「終戦」という言葉に入れ替えたのは、そのためだったのだろう。
しかし、勝者は「負けて悔しい」連中を根絶やしにはしなかった。
あえて生きながらえさせ、当時の最大の脅威であった共産主義革命に対する対抗勢力として背後から応援した。 その流れに自民党の源流のひとつはある。
反米の牙を抜かれ、いつのまにやら米国の飼い犬になっていった日本の右翼。
その象徴が、「終戦」という言葉である。
一方で、「負けて良かった」「負けたけど良かった」と思った勢力はどうなったか。
ここでもまた「負けた」という事実は覆い隠された。
「負けた」ということは実質的に植民地になるということであり、その政策は占領直後から着々と進められた。
このあたりは ベストセラーになった孫崎享氏の「戦後史の正体」に詳しい。
もしまだ読んでいない方は、「敗戦の日」を期してぜひ読んでみることをお勧めする。
戦後アメリカの占領政策は 「負けた」「占領」「植民地化」を意識させずに、日本人を羊化するという点に際立った特徴があった。
人民の心の底に「恨み」を残さずに、疑似楽園のような植民地にする。
ただし、はみ出したものは容赦なく抹殺する
。こうして多くの日本人は、「負けた」ことを忘れ、その結果として植民地化されていることを意識せず、羊飼いの意志を忖度して自ら行動する理想的な植民地を作り上げた。
8月15日を「終戦の日」と言って迎える度に、私たちは占領を祝福し、植民地化を言祝いできたのだ。
それは過去の「敗戦」を記念する日ではなく、今現在の「敗戦=占領」を粛々と受け入れる儀式なのだ。
今日は、その70回目の「敗戦」だ。
その一方で、「負けて良かった」の「良かった」のほうを、かき消そうという動きがはげしい。
「負けて悔しい」と言っていた連中は、負けたという事実を去勢され、行き場のない「悔しさ」を 「戦争をできないこと」に向けている。
「負けて悔しい」ならば、せめてその矛先をアメリカに向ければいいものを、その根性のないヘタレ右翼は、アメリカの尻馬に乗っかって戦争ごっこをやることでうさ晴らしをしようとしている。
もちろん、これは勝手に騒いでいるのではなく、アメリカがその筋書きを作り、その通りに暴れているだけだ。
野田の「動的防衛力」、そして安倍の「集団的自衛権行使」。 戦争をやりたくても金のないアメリカの代役を自衛隊が演じる。
自衛隊どころか、国防軍どころか、米衛隊、米防軍となり果てる。
アメリカに「負けて悔しい」と言っていた連中の末裔が、アメリカ様のために命を献げます、と言っているのだから、この倒錯ぶりはカルト級だ。
もちろん、命というのは自分の命じゃなくて、国民の命だけれども。
「終戦」という言葉には、このカルト級の倒錯を生み出した魔法が込められている。
誤魔化しと歪曲と倒錯の戦後史を 「終戦」ということばは言い表している。
いま私たちは 「負けて良かった」にたち返らなくてはならない。
少なくとも「負けたけど(負けないで戦争続けるより)良かった」という地点から始め直さなくてはならない。
アメリカの「アンダーコントロール」で戦争に傾倒する安倍晋三の姿は、私たちの長い長い70年の睡夢を覚ます。
また、疑似楽園植民地は限界を超え、もはや擬似的にも楽園を投影することはできなくなった。
私たちは今、目覚めの時を迎えた。
まだその自覚は充分ではないけれど、それぞれに、バラバラに、脈絡はないが、目覚めつつある。
その覚醒した目を、まだぼんやりと宙をさまよっている視線を、徐々にひとところに集めていく必要がある。
私が、無理をしてでも生活フォーラム関西を進めたいと思っているのはそのためだ。
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by michi-no-yuri
| 2014-08-16 07:14
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