きのうも車でラジオのニュースに耳を傾けていたのですが、途中で堪えられなくなって、わたしはそそくさとスイッチを切りました。
天安門事件から25周年ということもあるのでしょうが、やはり意図的にここぞとばかりに中国批判を繰り広げるマスコミがあさましく疎ましく思えたからです。
民主化を弾圧する中国政府というステレオタイプに沿って言いたい放題のマスコミは気楽なものです。
少しは、足元の不正と嘘がまかり通っている日本を見なさいよ、日本では民主化運動も起きないではありませんか。
天安門という言葉はタブーだとマスコミは言っていますが、日本にはそれとは比較にならない深刻なタブーがあるではありませんか。
「鼻血」です、「美味しんぼ」です、「放射能」です。
これらはすべて「風評」だから、タブーにもならないということ?
そういう日本が、上から目線で中国のタブーを突っついては悦に入っている姿は堪えられないくらい醜悪です。
中國のネットから洩れ伝わってくる声にはまだ自由があります。
すぐ消されるにしても、そこには抑えがたい自由への渇望があります。
日本では感じられないことです。
それとも、中国には自由がないから渇望するのは当然だとでも思いますか。
しかし、それは違います。
日本に言論の自由があるというのはあくまで「タテマエ」です。
そのタテマエに何の疑問も持ちたくないのです。
それでいいではないか、ことを荒立てて問題化してなんの得になる?ということなのでしょうか。
これが日本人の「大人」の考えです。
これを「もの分かり」がいいというのです。
しかし、その「ものわかり」の良さは、結果的に権力に従順になることです。
日本人にしたら、民主化運動なんて子どものやることなのでしょう。
問題の多い中国ですが、わたしには一つだけ羨ましいことがあります。
もちろん、中国政府だって「NWO」やイルミの影響や支配から免れないとしても日本ほどではないということです。
日本のように、何から何まで、微に入り細を穿つように干渉され、要求され、指示され、命令されることにはなっていないだろうからです。
日本は魂まで抜かれてしまいました。
そのなれの果ての象徴が、国会でいぎたなく居眠りしている議員の先生方の姿です。
政治なんか人に任せているのですから、後は居眠りでもしているしかないようです。
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