文科省が省内の幹部会会議の一部を英語で行う方針を決めたそうです。
安倍総理が「私より右」と言った下村大臣個人の発案ということではなく、上というか外部からの指示があったのではありませんか。
外国との交渉で、丁々発止と対等に議論ができるように英語力を強化するという意味ならそれもいいと思いますが、公用語を英語にするとか小学校から英語教育を導入するというのは別の話です。
楽天の三木谷社長などが熱心なのですが、かれが熱心だということでいいことなんか何もありません。
一にも二にも自分のビジネスのためです。
TPPによって、海外から企業やビジネスマンだけではなく、弁護士や医師なども続々と上陸してくるのに合わせているとしか思えません。
そういう人間の日本語習得の手間を省いてあげるために、日本人に英語を強制しようということではありませんか。
英語教育とは売国教育にほかなりません。
フィリピンの人が書いた「日本の英語公用化は『発展途上国化』という文章があります。
こう書かれています。
≪英語を道具として身につけるのは悪いことではないが
「グローバリズムに基ずく教育やビジネスの英語化などは違うと思う。
そんなことをして日本ははたして経済的に発展し、より豊かになるでしょうか。
国家のレベルで考えてはたしてそれでいいのだろうか。疑問に思えてなりません。
日本の英語の公用語化は、結局日本の「フィリッピン化」すなわち「発展途上国化」になるのではないか。≫
遠慮がちに書かれていますが、本音で言いたいのは、英語化とは「属国化」「奴隷化」ということではないでしょうか。
わたしが、はじめて公用語を英語でというはなしを聞いたとき、真っ先に浮かんだのはフィリッピンのことでした。
フィリッピンはアメリカの植民地でした。(その前はスペイン)
日本はフィリッピンに遅れること70年?にして、植民地化への道を選択しようというのでしょうか。
その愚かさ、誇りのなさに天を仰ぎたくなります。
総理や下村大臣に問いたい。
「美しい国」とはどういう国ですか。
「戦争ができる国」が「美しい国」ですか。
総理の国家観を形成している大本にはどうも特攻隊があるようなのです。
特攻隊員の遺書を世界記憶遺産に登録してもらおうと働きかけたりするのもそうでしょう。
しかし、わたしはあなたちに何が分かる!と言いたくなるのです。
特攻隊に感動し賛美するのは、極言すれば他人事だからではありませんか。
第三者として見ているからでしょう?
わたしが男なら、とても賛美などできません。
なぜなら、それは他人事ではなく自分自身の問題だと思うからです。
自分を賛美はできないからです。
気楽なものですね。
戦争をできる国にして、若者が犠牲になれば国のために死んでいったという美しい物語を作り、自分たちは高見の見物をするつもりでいるのでしょう。
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