「黒子のバスケ」の脅迫事件の被告は、出所したら必ずすぐに自殺すると宣言しています。
わたしは、それまでに心境に変化が起きてほしいと思います。
「生きていたら必ずいいことがある」というフレーズは陳腐で無責任な感を否めないのですが、それでも、わたしはそう言いたいのです。
その才能を生かしてほしいというのとは違うのです。
やはり、生きていたらいいことがあるのです。
いろんなことに気が付くのも「いいこと」なのです。
言うまでもなく「いいこと」とは形而上のことです。
そのためにかれは犯罪を冒したのではありませんか。
それで自殺したら、こんどこそほんとうの「負け組」になります。
形而上の「勝ち組」になれる資格を無下に捨ててはいけません。
きょうの「酔生夢人のブログ」にこういう一節がありました。
≪逆に、社会の下層にこそ、精神的にはまったく家畜ではない、真の人間が多い、と私は思っている。
むしろ、社会の上位にいる人間の中に、精神の貧困さや、低劣さを良く見てきた。≫
その通りです。
わたしの自慢は、人を地位や肩書で判断したことがないということです。
それは「負け組」のひがみ、ねたみだと思われるかもしれませんが、まったく違います。
子どものときからでした。
子どものときから外見、身なりで人を判断することはありませんでした。
要らない心配でしたが、
わたしはお金持ちや有名人にならなくてよかったと思っています。
負け惜しみではなく真実そう思っています。
そこに幸せがないことを子どものときから本能的に感じていました。
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