BBCが橋下市長の辞任と出直し選挙を報じるなかで、かれがNHK籾井会長の慰安婦はどこにでもあったと言ったことを、改めて正しかったと強い賛同を示したことを取り上げたそうです。
実は、わたしも以前はそう思っていました。
日本だけが責められる問題だろうか、どこでもやっていたことなのにと。
ところが、一年ほど前からわたしの中で変化が生じてきたのです。
たとえば、よその国が「どこでもしていたことではないか」と言った場合を想像してみたとき、わたしはとても不愉快な気持ちになったのです。
その国の品位や見識を疑いたくなるだろうと思いました。
それほど嫌な気がしたのです。
事実であっても言ってはいけないこと、あるいは逆効果になることに日本は余りにも無知で無神経でした。
そういう問題は国際間の紳士協定でタブーになっていたことだったのではないでしょうか。
どうやら日本はそれを知らず、紳士協定に反したことで、信頼や信用を大きく損ねたかもしれません。
たとえば、いじめやカンニングや万引きを、みんながやっていたからと子どもが言ったら、「人のことは言うな!」と大人は叱るのではありませんか。
日本がしたことの事実だけを事実として認め謝罪するのです。
それが大人(たいじん)としての国の責任の取り方だと思います。
他国のことは一切言うべきではありません。
軍が慰安所を設置し、慰安婦を募集したことは事実です。
強制については真正面から取り合わず、ただ募集をかけた事実だけを言えばいいと思います。
子どものような言い訳を繰り返して逃げ回っていないで堂々と事実を認めてください。
男として、紳士として、サムライとして潔いところを見せてください。
あの国の人たちの被害者意識が余りにも異常だとしても、それに対して何も感じないとしたら日本人が被害や屈辱に鈍感だからなのかもしれません。
それとも、日本が受けた甚大な被害に対しては何も言えなかった、あるいは言わなかったことで不感症が慣性になっているのでしょうか。
日米同盟の名のもとに、日本人は何も考えない、何も感じない人間にさせられてしまったということでしょうか。
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