岩下俊三さんの「黄泉の国から」にちょっと感動した記事があったので前半部分だけ転載します。
信州でも屈指の米どころであり、何と言っても千曲川の清流が創り上げた銘酒と先祖伝来の分限者にして良識高く地域の「真の保守」としてながく人民のため誰か一人は政りごとに関わってきたという井出家は地元の誇りでもあるだろう。
そのため自民党であっても三木武雄などとともに「良識」を守って清潔であった井出一太郎氏や息子正一などすべて「第一級」の政治家であった。
まだ一太郎の弟・孫六をはじめ多くの文人を輩出している家柄でもある。
僕はまだ青二才ではあったけれど特に政界引退時の一太郎氏の次の言葉には敵ながらあっぱれと尊敬したのであった。
「いささかなりとも公のために尽くしているという自負心がなければ、この仕事は続けられなかった」
つまり井出家の政治家にあっては「私」が全くなかったということであろう。
そして時は流れ先日、みんなの党で堂々と討議拘束を無視し「秘密保護法」反対した若い議員に気骨のようなものを感じていたが、それが井出庸生くんだとしって、なるほどと感心したものである。
この記事から感じたのは、「伝統」というものの尊さとありがたさです。
国のレベルから一家庭一個人にまで及ぶ「伝統」のことです。
そして、それが「天皇」に収斂されているのが日本の真の姿だということです。
文化、伝統の大本が天皇だということです。
子は親の背中を見て育つといわれます。
公の精神はおろか私の精神、利権の精神しかないような現今の政治家の多くは、親の背中が悪かったのでしょうか。
城内実さんなんか期待していたのに、その期待を裏切ったのはやはり親の背中が悪かったのでしょうか。
わたしの父は教育もなく、欠点も多く、親娘関係が濃密だったわけでもないのですが、その父があるとき洩らした「恥を知るのが日本人だ」という一言がその後のわたしの人生を縛るほど重いものになりました。
だからといって清く正しい生き方をしてきたわけではなく、実際はその反対でした。
しかし、それがわたしにとっての親の背中だったのです。
それにしても、いま、地元の誇りであるような政治家がいるでしょうか。
政治家にも、もし地元への愛郷心があれば、国を売るような政策に賛同できるはずはないのです。
TPPは来年に持ち越しとなりました。
日本は重要5品目については一ミリも譲れないと言っています。
どこかで聞いたことのあるフレーズだと思ったら、細川政権時の、外国の米は一粒なりとも入れないというキャッチフレーズ?でした。
しかし、簡単に崩れました。
一ミリはダイジョウブでしょうか。
しかし、TPPはそんな問題ではないのです。
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