加藤コミッショナーはオーナー会議などでは、一言も発言しないそうです。
球団のオーナーもかれにとっては「ご主人さま」なのでしょうか。
小役人根性の面目躍如というところです。
駐米大使のとき、この人はいったい何をしていたのだろうかと思ってしまいます。
復興庁の役人が福島で質問を受けているときの動画を見たのですが、お役人ってみんな同じ表情をしているのですね。
言質をとられないようにと用心深く喋っているのですが、腹のなかでは、クソ左翼が、バカ女がと思っていることがありありと分かる顔です。
週刊誌の見出しで見ただけですが、王さんがコミッショナーを庇っておられるのだとか。
わたしは、長島さんもそうですが、王さんもけっこうな政治家だとかねてから思っています。
オリンピック誘致のプレゼンでの日本のスピーチが好評だったようです。
猪瀬都知事、太田雄貴さん、田中理恵さんのスピーチはひと通り見たのですが、わたしはあまりいい印象を持てませんでした。
後進国の人間が涙ぐましいほど必死に自国をアピールしているようで、そこには、人権人道大使の言う先進国としての誇りも余裕も感じられませんでした。
ここで肩をすぼめ、手を大きく広げなさい、そして、満面の笑顔を絶やさないようにと演技指導されたであろうことがミエミエで鼻白む思いがしました。
もっと自然な笑顔や語り口が良かったのにと思いましたが、IOC委員に好印象を与え、日本でも評判がよかったのなら、それでいいのです。なにもイチャモンつけるものではありません。
(ちなみに、わたしはオリンピック誘致には反対です。)
G8も終わりました。
やはり、ひとり異質な存在としてのプーチン大統領に注目しました。
かれは、どこかのリーダーのように笑顔を振りまいたりはせず、
どこまでも慎重で、思慮深い雰囲気を漂わせていました。
以前、きつねに会ったことを書いたことがあります。
高いところからじ~っとこちらを見ていたのですが、プーチン大統領を見ていて、そのときのきつねの目と完全に重なりました。
もう、どちらがプーチンでどちらがきつねか分からなくなりましたw
きつねは人間になつかないと言われています。
人間なんかになつく、つまり、媚をうることを潔しとしないのだと思います。
孤高なのです。
孤高とは、世俗と離れて超然としていることです。
きつねは人間から離れてひとり超然としていることが可能ですが、プーチン大統領はそうはいきません。世俗の中にあってひとり孤独で苦しい戦いをしなければならないのです。
きつねの怜悧で深い孤独とかなしみを湛えた目は、生きることのかなしみを自らに引き受けているかのようです。
人間との間に、目に見えない結界を巡らして、孤独、即ち、誇りを守っているかのようです。
きつねが人を騙すというのも、人間がきつねのあの怜悧な深い目に畏れを感じたからではないでしょうか。
このごろ、いままでなら朝のある時間になると回転しだしていた頭がいっこうにまわらなくなりました。
気圧の関係でしょうか。
書くことにきりはないのですが、気分が乗りません。
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