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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

子どものこころを縛る社会。

「酔生夢人のブログ」より。

「in deep」というブログの記事をもとに書かれたものです。
前後の文と引用文は割愛しますが、そこはぜひ本ブログで読んでください。
(「in deep」には惨たらしい写真が貼ってあるのでわたしは見られません)
《それよりも、私が問題にしたいのは、「in deep」に書かれた、「時間の余裕の無い子供の生活」の方だ。

これは受験戦争ピラミッドシステム(すなわち、東大を頂点とし、東大やその下の一流大学に進むために一流進学校とその他の高校が序列化され、さらに一流高校に進むために一流進学校とその他の中学が序列化されるというシステム)から必然的に生じたものだが、最近は学業以外の「習い事」が親によってみっしりとスケジュール化され、子供が「ぼーっとしている時間」が許されないようだ。

こうした「無為の時間」ほど子供の心の発達にとって有益なものは無い、というのは、私も「in deep」筆者と同意見である。

現代人は、高学歴であるほど心が貧困であるという傾向があるような気がする。

私は数か月前から肉体労働の職場に就いている、ということを前に書いているが、その職場に入って、私は日本の市井の人間の大半が、いかに上品な人間であるか、あえて言えば、心の高貴な人間であるかを初めて知った。

まあ、すべての肉体労働の現場がそうであるとは思わないし、その逆の野蛮で殺伐とした現場も多いとは思うが、しかし、それは会社の利益第一主義の労働環境から来るもので、本来の日本人の庶民性は善良そのものなのではないかと私は考えている。

その逆に、それ以前に勤めていた「知的職業」の職場で出会った人間の大半は、「嘘と演技」の「仮面人間」だらけであり、まともな人間はほんの僅かなものであった。

これは、彼らが受験勉強中心の成長過程で、心をまともに発達させられなかったからではないだろうか。

そういう私自身、心に蓋をして生きていたのである。

ただ、私の場合は、「ぼーっとしている時間」が成長の過程で膨大にあり、仮面人間とはそれなりにつきあいながら、本来の自分自身は、一人だけの時間の中で解放することができたから、何とか鬱病にもならずにいられたのである。

最低限、子供の頃に「宮澤賢治」「小川未明」「浜田廣介」らの童話・児童文学を読むという経験があれば、現在の日本のように「自分が金を得るためなら他人が死んでもかまわない」という「残酷な資本主義」の社会にはなっていないのではないか。

他人の悲しみや喜びを自分のこととして経験できるのが文学の最高の機能であり、それが社会的モラルの土台にもなるのである。

いや、本など読まなくてもいいから、ただぼーっとして土の上に落ちる日の光や草木の影を眺めるだけでも、その時間は子供の心に忘れ難い印象を残すこともあり、それが一生を通じての心の財産になることもあるのである。》


わたしは、子どもに間違ったことをいっぱいしてきましたが、一つだけ言えることは、一流の大学や企業を考えたことなどいちどもなかったということです。
そんなことは分不相応なことだと思っていました。

これは決して自慢になることではありませんが、わたしは子どもに勉強のことを言ったことがありません。
わたし自身が本を読み散らかしたり「ぼーっとした時間」を愉しむことばかり考えていたからです。
ひどい親です。
母も、世の中にはバカも必要だなどと、とりなすつもりか成績の悪い孫を前にして言うような人でした。

この記事の中で、
市井の人間の大半がいかに上品で高貴でさえあるかと書いておられることは(実際に、わたしがバイトで出会ったのはトンデモナイ人がほとんどでしたが)よく分かるのです。

わたしも市井のキリスト、菩薩と言えるような人になんどか出会ったことがあります。
そのほとんどが、象徴的に言うのですが、作業衣を着たような人たちだったと思います。

いわゆる知的職業についている人間が「嘘と演技」の「仮面人間」ばかりだと言われるのもよく分かります。
息子から聞かされる愚痴のほとんどがそういうことです。
まわりの人間の他人への関心のなさに驚くと言っていま

他人へ関心がない者に思いやりのこころが生起するはずがありません。

きのう、テレビで、霊能者の木村藤子さんが出られた番組を見ました。
ある歌手が自分の相談したいことがうまく言えず、なかなかはなしがかみ合わないのですが、木村さんは、それを相手の「知識不足」だと言われました。
その「知識」は、勉強で得られるものではなく、それ以外の社会や人間関係から体得するものを木村さんは「知識」と言われたのです。

日本がこんな狂った社会になったのは、木村さんの言われる「知識不足」が原因です。
相手にも自分と同じ感情があることを想像できない人たち。
だれもが、様々な思い(かなしみや悩みなど)を持って生きていることを想像できない人たち。

そういうことが分からない、学業優秀だけで出世してきたエリートたちが、こんな狂った日本にしたのです。









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by michi-no-yuri | 2013-06-05 11:41 | Comments(0)
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