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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

十二月十日 その二。

「暗黒夜考ブログ」から、前回と同じ、HN「在東欧農家」という人のコメントを転載。

≪◆日本基準は緩やかな民族絶滅政策
 2012-12-09 01:08:44 『在東欧農家』氏

一家で「黒い山」という名の高地に住み始めたのは1989年である。
五六年ほど前までは、年々子供が少なくなってゆくな、という実感が常にあった。
そしてビデオにあるように、悲劇的なお産の噂も絶えなかった。
隣人がもっている安全食品マニュアルは、特に子供にはセシウム137の体内取り込みを徹底的に回避させることを指針としている。
独立(1997年)以前の、緩やかなモスクワ基準はこの友人の言葉を借りれば、「第二のウクライナ民族絶滅政策」となるはずのものだったという。
第一の絶滅政策とは1932-1933にかけてのスターリン体制によって人為的に引き起こされた大飢饉のことである。
600万人が飢え死にし、人肉が市場に売り出されるまでになった。
友人の譬えは決して誇張ではない。事故後から人口減少が加速し、ついには700万人近く減ったのだから。
やっと数年前から幼稚園に賑やかさが戻ってきたかな、というのが自分の受ける印象だ。
ビデオに登場したアカデミー氏は、体内被曝が危険とする実証データを貶し、実験結果が十回再現されないと科学ではないとほざいていた。
しかし、知性をもたぬ千匹のマウスを解剖して得た知識よりも、たとえ一人であろうとも、病み苦しむ子供と親御さんから学び取った知識のほうが本物だろうに。
旧ソ連の国家機関で働いたことのある自分には、この学者の経歴が実によく分る。共産党員である。
この党は抑圧され搾取された人間を守る前衛の党でなない。
実は、思想を栄達の手段とする人間の巣窟であった。密告者とサディストの集団であった。
彼が科学ではないと罵倒した数々の論文は、ウクライナ政府の政策に採用されることになった。
このセシウム制限がじわじわと効果を上げていることは間違いない。
お医者さんたちも健康な子供が増えてきていると、嬉しそうに語っている。
自分はウクライナのモスクワ離脱に反対だったが、この事実を知ってから、それが間違いだったと悟った。
老人になっても、自己変革は起こるものだ。≫



友人が言ったという「第二のウクライナ民族絶滅政策」で、つまりチェルノブイリ事故で、700万近い人口が減ったというのは恐るべきでことです。いうまでのなく、第一の絶滅政策とは、スターリンによって人為的に引き起こされた大飢饉のことです。

オウム事件のころだったと思いますが、書店で「宝島」という雑誌に載っていた写真を見て驚愕したことがあります。
歩道に身なりのいい若い女性が二人立っていて、その前の道路に何体もの凍った死体が無造作に置かれていました。少年の上半身だけの死体もありました。
キャプションも見ずに本を閉じたのですが、その死体が売りものだということは分かりました。年代や場所は分かりませんでしたが、おおよその見当はつきました。
「600万人が飢え死にし、人肉が市場に売り出されるまでになった。」とありますように、東欧かウクライナの辺りだろうとの見当は間違っていませんでした。

わたしには信じられない光景でしたが、そこら辺で人が飢えて死ぬようになったら、冷凍マグロをみるのと変わらない当たり前の感覚になるのだろうなと思いました。人間は何にでもすぐ慣れるものだからです。

このコメントのなかでもっとも共感を覚えたのは
「知性をもたぬ千匹のマウスを解剖して得た知識よりも、たとえ一人であろうとも、病み苦しむ子供と親御さんから学び取った知識のほうが本物だろうに。」と書かれていることです。
同じブログで、被曝による身体の変調や苦痛を泣きながら語る子どもを見ましたが、堪えられない思いでした。
最近、わたしは、山下俊一という人間を恐ろしく思います。
かれらは、ここに書かれているように「思想(科学)を栄達の手段とする人間であり、」「サディストの集団」です。

最後にこう書かれています。
「老人になっても、自己変革は起こるものなのだ。」
と。

わたしは、きのう、自分のことを真実の探求者のように書きましたが、それは正しくありませんでした。
なにかにつけて消極的なわたしがいつも思うのは 「自分の考えは間違っていないだろうか、ほんとうに正しいと言えるだろうか」ということだけです。
そう思うことが、わたしにとっての自己変革のような気がしているのです。









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by michi-no-yuri | 2012-12-10 16:35 | Comments(0)
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