山崎行太郎さんの「戦後から戦前へ」について。
≪日本人は「対米自立」を実現したければ、それは同時に「戦争の可能性」をも引き受けることを意味することを知るべきだ。≫
全然、違います。
日本人は長い間そう思い込まされてきたのです。それが、まやかしであることを、尖閣騒動が浮き彫りにしました。アメリカが一人の老害売国奴を指嗾して、尖閣危機を演出したことが、わたしたちの目にはっきり分かったのです。
「戦争の可能性」つまり、戦争を引き起こす要因は二つあると思います。(急に考えたことなので、外にもあるかもしれませんが)
一つは、戦争利権です。
二つ以上の国を仲違いさせて脅威を煽り、そして、戦争にもっていくことで、お金が儲かる仕組みの戦争経済のことです。
二つ目は、「油断」です。
太平の夢を貪っている国、国民が、侵略を誘発するという歴史的事実は沢山あります。
≪今、「対米自立」を志向するということは、日本が日本独自の軍事力で自主防衛体制を構築し、軍事的に自立すると言うことである。≫
ここで、山崎さんはなにを言わんとしておられるのでしょうか。
覚悟を持て、ということを言っておられるのなら、その通りです。
国民の覚悟に優る軍事力はありませんから。
世界を見ると、どんな小国でも自主防衛体制を築いているのです。
こんな当たり前のことさえ日本人は考えもせず、しようともしてきませんでした。
正確に言うと、アメリカがそうさせなかったということです。
≪戦後日本の「平和」は、反戦平和主義というイデオロギーによってではなく、「日米軍事同盟」ないしは、「従米隷属体制」と言われる戦後的政治システムによって保護されていたに過ぎない≫
これも違うと思います。
「冷戦構造」によって均衡が保たれてきたというのが「平和」の実態ではありませんか。
戦後の政治システムを軍事同盟とか隷属体制だとか簡単に言われますが、「戦後史の正体」を読むまでもなく、アメリカに抵抗して失脚した政治家の存在や、軍事同盟はおろか、日米同盟という言葉さえタブー視されてきた歴史もあるのです。
それがどうでしょう。今の政治家は、恥も外聞のなく嬉々として「日米同盟の深化」を叫んでいるではありませんか。わたしは、恥かしさと怒りでそういう人間の顔を見られないのです。
「対米自立」なんか出来っこないと思っている人が、とくに政治家に多くいます。
わたしも簡単なことだとは思いませんが、出来っこないことはないのです。
考えようによっては簡単なことなのです。
唯一それを可能にするのが、国民の覚醒と覚悟です。これほど強いものはありません。
そうではありませんか?!
ほんとうに、日本はアメリカによって骨抜きにされました。
アメリカは、もう日本人には気概も誇りもないと見切ったから、こうまで傍若無人に干渉してくるのではありませんか。
アメリカの意識には、依然として日本は無条件降伏した国であり続けているのではなかろうかと、このごろよく思います。わたしたちは、無条件降伏した国の国民のままなのではないかと。
日米同盟とはこういうことではないでしょうか。
金のなる木である日本はアメリカの保護領なのだから、だれも手をだすな!
金のなる木はだれにも渡さない!
これがアメリカの本音ではないでしょうか。
中国もロシアもこのアメリカの本音をよく知っていることでしょう。
流れによっては、アメリカと中国が手を組んで、日本を潰しにくることだってあり得ないことではないでしょう。
「尖閣軍事衝突に勝負あり」なんてトンデモナイ!
いまだ、戦争のイメージが日露戦争で止まったままの人がいるのですね。
もしかしたら、これからが本番かもしれないのに。
≪仮に、戦争になれば、勝ったとしても悲惨は避けられないし、これからの時代、戦争という愚かな対立競争は卒業すべき時に来ている。≫(つむじ風ブログより)
ほんとうにそう思います。たとえ、勝ったとして、それが何をもたらすでしょう。
負けた国の国民の(勝った国の国民も)悲しみや恨みを背負い続けるだけではありませんか。そんな負の連鎖に終止符を打ちたいとは思いませんか。
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