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谷間の百合

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八月二十七日  その一

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上の写真は、大阪市内にある「安政大津波の碑」です。
津波の甚大な被害を後世の人に警告として残そうということで建てられたものですが
傍には、碑文板書原文と現代語文にしたものがそれぞれ設置されています。

被害の詳しい状況と、津波への備え、心得が縷々書き綴られているのですが、とくに、胸を打つのは、最後の次のような一節です。

「犠牲になられた方々のご冥福を祈り、つたない文章であるが、ここに記録しておくので、心ある人は、時々、碑文が読み易いように墨を入れ、伝えていってほしい。」

写真に写る碑も黒く、墨が入っています。しかも、後世の人が、今の人には、読めないだろうと現代語文の碑まで用意しているのです。
泣ける話です。
というより、わたしは、泣けて泣けてしかたありませんでした。
これが、政治ではありませんか。
ところが、福島でも日本でも、これと真逆のことが平然と白昼堂々と行われているのです。みんなが人のことに無関心なのです。放射能が降り注いでいることも、福島の人たちが苦しんでいることもまるで他人事で、野球やサッカーやさまざまなイベントに興じているのです。

わたしは、まだ、はっきりと冷酷な人間の方が、何も感じない人間よりましだと思うくらいです。無関心や鈍感な人間に比べれば、まだましだとさえ思うくらいです。


この辺でも、少し歩くとあちこちに碑文や立札が建っています。
こないだも、立札のなかに、終焉とか直訴などという字が見えて、興味を引かれたのですが、全体に字が薄れていて判読できませんでした。こういうことに出会うたびに腹がたちます。
しかし、考えるまでもなく、腹が立つのなら、自分で市役所とかに掛け合うべきだったのですね。

国のことに直接関われないわたしたち庶民でも、こういう気遣い、心遣いをすることでどれだけ世のためになるか分かりません。

「心ある人は、時々、碑文が読み易いように墨を入れて伝えていってほしい。」と書いた人の気持ちを思うと、やっぱり泣けてきます。









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by michi-no-yuri | 2012-08-27 10:53 | Comments(0)
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