「つむじ風」ブログの「佐野千遥博士の健康論は小気味良い」を共感しながら読ませていただきました。
クスリは毒、医療は金儲け、が口癖だった母は、自らが癌になったときもその言葉を忠実に守り、一切の治療を拒否して逝きました。
そんな母の娘でありながら、なんと情けないことに、わたしは、愛犬が末期の病魔に侵されたときは完全に冷静さを失って医者に縋り、どんなことをしても助けてやってくださいと哀願したのです。
昔、「自然治癒力」という本を読んで、非常に印象に残ったエピソードがありました。
それは、先進国では、すぐ重症患者は家族から離されて集中治療室に入れられるが
後進国(確か、ラテン系の国だったと思います)では、そういう設備もなく、家族は患者のベッドの傍に付きっきりで話しかけたり、お祈りを捧げたりしていることが多いそうです。そして、その結果、患者の蘇生率や回復率は、後者の場合が圧倒的に多いということが書かれていて、わたしは、強い感銘と啓示を受けました。
それなのに、わたしは、愛犬を苦しみの内に死なせてしまったのです。
多分、そのときは、「祈り」というものに全幅の信頼が持てなくて、上っ面の感銘だったということかもしれません。
最近では、映画にもなった「アレクセイの泉」の例があります。
チェルノブイリの30キロ圏内にある泉を村人が守ったというお話です。
村人は逃げ出さずに、どうしてきれいな泉を守ったと思いますか、と元東電社員の方は問いかけ、そして、こう言われました。「祈りです」と。
わたしは、漸く、「祈り」は、物理的な波動であって、それによって、必ず何かが動くのだと信じるようになりました。
だから、日本のことを祈ろうと思うようになったのです。
飄平様は、医者にはセンスが必要だ、センスとは、感覚的能力のことだと言っておられます。
わたしは、主に、歯医者ですが、いつも、センスがあるとかないとか言っては医者を代えることになります。感覚的なことなので、言葉での説明が難しいのですが、わたしは、このセンスというものをイチバンの判断基準にしています。
モチロン、地位や学歴などなんの関係もありません。
ホリエモンさんに、間違いは正してやらなければと刑務所まで出向いて行かれた亀井静香さん。わたしは、亀井さんのこういう人間的センスが好きなのです。
ちなみに、わたしは去るものは追わずと言う人が嫌いです。もっとも、去る人間にもよりますが、仮に、群れから外れて道に迷っている子羊を見て、そのまま放っておけますか。
亀井さんから見たら、ホリエモンさんがそうだったというのではなく、むしろ、一匹のホリエモンさんが他の99匹に悪影響を及ぼすことを懸念されての行動だったということではないでしょうか。
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